折口先生は亡くなった後、自ら建てた羽咋のお墓と、大阪の代々の菩提寺に分骨されたとのこと。
研究から神道の信者と思われがちですが、生家は仏教で、お母様の信仰の様子が『海やまのあひだ』「母」やその『自歌自註』での解説で語られています。
菩提寺である願泉寺は『折口信夫生誕の地』の碑から、南へ約200mです。
【目次】 |
---|
街の中のお寺
車の多い道路に面して、小さな商店などが並ぶ先に現れる瓦屋根の塀。街中のお寺らしい佇まいです。
その奥に近代的な本堂(ガラス戸が閉まっていて中は覗けず)と柵に仕切られた墓地がありました。
(2023年9月撮影)
調べてみると、推古天皇の時代に創建され、様々な由緒があるようです。
この辺りも折口先生のアイデンティティ的な何かに関係がありそうですね。
どこにあるかわからないけど、柵の方に向かって、手を合わせて来ました。
(2023年4月撮影)