【いしかわ百万石文化祭2023 羽咋市国民文化祭 関連記事】
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の続きです。
アトラクション「國大音頭」演舞 國學院大學全學應援團
應援團が出演すると知り、「國大音頭」やってくれないかなーと思っていたら、本当に見られることになって、とても楽しみにしていました。
さて、舞台に登場したのは、男女とも詰襟の学ラン、直角と直線で作られているようなキビキビした身のこなし。
正面の団長の指揮で、他の団員が大きな太鼓を打ち、歌いながら大きく腕を振り…頭の中で炭坑節のメロディと、歌詞を辿ろうとしていたのですが、それ以上に、應援團の気迫に圧倒😮
団長が全身でリードし(作画がジョジョでした!)、太鼓の音に負けじと張り上げられる団員の声。
始まった当初、客席の高校生がざわついたのですが、それがだんだん見る雰囲気に変っていったのも良かったです。
「國大音頭」の後は、「折口先生ーッ!」とエールも送られました。
解説によると、折口学の「鎮魂(たまふり)」の実演とのこと。生命力を活性化させる儀式…なるほど。
とても良いものを拝見できました😊皆さん、気合入っててカッコよかったー!
パネリストトーク「折口学を受け継ぐ」
3人の先生のトークです。
冒頭で小川先生が自作の歌を披露、先程の講演を受けて、万葉集以外の書物と折口についてや、古代の海上交流の話題となりました。
(自作の歌にふれて)
小)藤井家の祭は神道でも仏教でもなく、國學院の弟子たちが考えたもの。民俗学から考えられた折口らしい祭りになっている。
小)直観を自分の心に刻むことが実感であり、そこからイマジネーションやクリエイティビティが生まれる。歌を作ることで認識できた。
そうやって受け止めて、次世代へつなぐ必要があるのではないだろうか。
Qなぜ折口は万葉集を研究の対象にしたのか
上)歌は、今も古代も同じ言葉の工夫で成り立っていて、直観、実感につながり、古いものが残っている。
また正岡子規によって、歌の評価が大きく変わった。国民的関心も高かったと思われる。
古事記については、折口は編纂ものへの評価が低かったのではないか。
小)古事記は奈良時代にまとめられたもの。折口の考える古代はなかったのだろう。
Q古代の人々は、何をおそれ、敬ったか
笹)折口学では、沖縄の海の視点は欠かせない。
各地が海上交通で結ばれていた様子が出土物から推定されており、海からのマレビトというのは、実際に海産物(=福)を運んでくる人々のことだったのかもしれない。
最近土の分析ができるようになり、少しずつ研究が進んでいる。
Q折口学の面白さとは
笹)大学生の時に読んだが、わからなかった。言い回しがくどくてわかりにくい文章。だが、イメージが取れるのが魅力。幅が広い。
小)元々理系だったが、『死者の書』を読み、全集を親に買ってもらったが、歯が立たなかった。20年ぐらいしてからようやく…でもまだ1行に90分の講義をする。
上)万葉集で言うと、枕詞とはライフインデックス。そういう言い回しが大切。無駄も生活である。
小)折口学は読む側の受け取る力、考える力が必要。羽咋では地域で歌会を開いていると聞いているから、歌の力がある町になれるのではないだろうか。
それぞれのご専門から、折口学を今この時代に受け継ぐ必要性、大切さを説いておられたように思います。
どれも興味深いお話で、没後70年にふさわしい、大変充実したイベントでした。
帰りには記念として、トートバッグをいただきました。羽咋だけに891枚限定だそうです! 裏面は英語。先生、蝶ネクタイがお似合いのイラストです。