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【目次】 |
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10月21日(土)シンポジウム『「折口学」を受け継ぐ』
場所:コスモアイル羽咋大ホール
折口学、民俗学の研究者の方々の講演と、パネリストトーク、國學院應援團の演舞もあるとのことです。
ポンコツなので、ついて行けるのか理解できるのか?…は置いておいて、とにかく行くしかない…!
まずは腹ごしらえから。会場近くのゴーゴーカレーでUFOカレーをいただきました。星の目玉焼きが可愛い😊たこさんウィンナーは宇宙人だそうで、揚げてあって美味しかったです。
コスモアイルは見てるだけで楽しい気分になる建物。ロケットはNASAから入手した本物とのことです。
建物の前には、今回の羽咋のテーマの一つである「砂像」がありました。
砂像のスタンプラリーをやっているそうなんですが、その看板には…折口先生のゆるキャラ! しかも肩に春洋さんが乗っています。口がふにゅんとしてて超可愛いー🥰
さて到着。
市長さんや父子会会長さんの挨拶、市民憲章の唱和(これ、会場の方々は普通にされていたのですが、何気にすごいと思うんですが)を経まして、始まりました。
※以下は個人による要約であり、実際とは異なりますので、ご了承ください😅
イントロダクション『「折口学」を受け継ぐこと』
國學院大學名誉教授 小川直之さん
折口先生関連や民俗学の本や記事などを拝見していますが、お話を伺うのは初めて。
小川先生は、岡野先生が卒論の指導教官だったとのことで、岡野先生の後を受け、羽咋で行われている年祭にいらして、講演をされているそうです。
イントロダクションということで、羽咋に墓を作ることになった経緯、この後登壇する先生方の紹介といった、今回のシンポジウムの枠づくりとしてのお話でした。
①気多大社…國學院大の同僚で親友だった氷室昭長氏が一時神官として赴任していた
②中村浩(七尾市)、藤井春洋(羽咋市)という身近な弟子に出身者がいた
特に春洋さんには、気性の激しさがあり、信念をしっかり持ち、時に折口先生と喧嘩もする『能登人の気高さ』というべき気質がありました。
折口学をなぜ受け継ぐか
折口学とは何か?を『考える』ため。
折口学は答えではなく、ツール…つまり、わっからーんと考え込むのも意味があるということでしょうか🤭
『万葉集と折口信夫』
開始前(開場時間中)に会場内を回って、来場者と言葉を交わしておられたのが印象に残りました。
先の小川先生のイントロダクションで、万葉集で現在指折りの研究者と紹介されたのを受け、『日本で○番目の上野です』との自己紹介からスタート。
折口先生と万葉集、その研究の特徴、更に宗教が文学を発生させた説にも広がる内容でした。
※当時は歌による男女のかけあいが行われていた。
・型…相手と同じ型(例えば、同じ言葉を入れる等)で行う
・場…(駆け引きの中で)何かが生まれてくる瞬間=発生
・霊魂論…歌に詠まれた霊魂の介在
例「青旗の 木幡の上を 通ふとは 目には見れども 直に逢はぬかも」(万葉集 巻二 148)
→折口信夫の霊魂論は、魂が生身の人間から外に出ている。折口は生きている人の霊魂を扱い、柳田は死んだ人の霊魂<祖霊>を扱った。
前近代の文化は宗教が支えてきたが、近代以降は科学がとってかわった。科学まみれの今、折口学は大事だと思う、とのしめくくりでした。
折口信夫の「依代」と古代祭祀研究の現在ー祭祀考古学と認知宗教学の視点からー
冒頭で、民俗学の分野は、折口信夫の手から出られない孫悟空のようとおっしゃっていて、研究者として実感されているんだろうな、と思いました。
講演は、折口先生が見たであろう風景から、その論を紐解くというもの。
そもそも人には、
・自然が作る造形に自分の知っている形や物を見いだそうとする
・特別な出来事は「誰かが引き起こしている」と直観する
という考えがあるそうです。
それを踏まえ、
折口が持っていた「海から神が上陸する」という考え
+
気多の海岸の風景(奥に裾野のなだらかな山が広がる)
→「春来る鬼」の『桁』
海から出てくる神は、まづ海岸の一所―けたといふ語を用ゐたいと思ひますーけたへ飛び上がり、そのけたから陸に上るのですが
+
海上からの目印とされていた青々と茂るたぶの木
→「古代研究 追い書き」の『神の存在を象徴、神木』
「たぶ」の写真の多いのは、常世神の漂著地と、其将来したと考へられる神木、及び「さかき」なる名に当る植木が、一種類でないこと、古い「さかき」は、今考へられる限りでは、「たぶ」「たび」なる、南海から移植せられた熱帯性の木である事を示さう、との企てがあつたのだ。
――折口信夫「古代研究 追ひ書き」
他にも折口先生が見たであろう風景から辿っていくと、新しい発見がありそうで、興味深かったです。