根拠はないけど、そう思う

折口信夫にはまったものの、推し方がよくわからない…

令和6年度折口文学公開講座(1)、折口信夫71年祭前夜祭

 毎年羽咋では命日に合わせて講座や周年祭を行っているとのこと。

 のろのろ台風にヒヤヒヤしましたが、無事に開催され、今回初めて参加させていただきました。

 

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LAKUNAはくい

 講座の会場は7月にオープンしたばかりの新しい施設。駅から50mほどで、柔らかく明るい雰囲気です。

 1階はブックカフェ、2階は子供向けの遊び場、3階はレンタルキッチンやeスポーツのスタジオ、4階がホール。

 別棟には飲食店や学習塾がありました。

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 1階のカフェはドトールでして、まずそこで腹ごしらえ。本棚に折口先生の本が見当たらないので「誰か読んでるのかなぁー?」(怖w)と思いつつ、時間を見て4階に向かいました。

 

 

令和6年度折口文学公開講座「池田家資料より 折口信夫三題 谷崎書簡 河童祭 椿・椨(たぶ)」

講師:高岡市万葉歴史館 館長 藤原茂樹さん

 

 今年9月4日から12月2日まで高岡市万葉歴史館では、企画展「池田弥三郎の世界」が開催されると聞き、楽しみにしていたので、今回のタイトルには、おぉーっとなりました。

 

 谷崎というと、谷崎潤一郎ですよね? 調べてみると、折口先生、谷崎潤一郎先生の全集の書簡集には、互いの手紙は収録されていません。

 河童祭とは、先生が「郷土研究会」で学生さんとやっていたお祭りかと思ったのですが、その時演じられた『川の殿』(神楽という体裁だったみたい?)は、ノート編にあるのは昭和21年に書き直されたものなので、初演の昭和11年の話が聞けると良いなぁとか。

 

谷崎書簡

 手紙、ありました!

 しかも池田さんの『三田の折口信夫』(昭和48年・慶應義塾大学国文学研究会)に掲載されているそうです。

 折口先生から谷崎先生へのもので、内容は贈られた『細雪』について。昭和18年に発禁になった『細雪』の私家版を読んだようで、作品に対する清々しい思いや、検閲への苦言、大阪詞(ことば)に及んでいます。

 この手紙は、折口信夫全集が出た後の昭和47年に谷崎夫人の松子さんから池田さんに送られたものとのこと。

 その際の松子さんからの手紙が「池田弥三郎の世界」に展示されているそうです。見に行く楽しみが増えました。

 

河童祭

 昭和11年の河童祭などの写真や池田さんの随筆、ノート編の「俄狂言台本 川の殿」を引用しながら、折口先生が好きだった遊ぶということ、河童の鳴き声の語源について。

 折口先生と学生さんたちが仮装していたり、旅行先ではっちゃけている写真がよくありますが、池田さんもずっと保管されていたようです。

 鳴き声の「ぶれれけけけきす」は、ハウプトマン『沈鐘』に登場する水の妖精(お爺さん)の台詞から。引用されているところだけを見る限り、ぬめぬめしていて河童っぽい? 全文やこれを元にした泉鏡花の『夜叉が池』を読んだら、他にも何か発見があるかな、と思ったり。

 

椿・椨

 池田さんが取った、昭和15年「郷土研究会」での講義のノートを紹介しながら、椿やたぶに対する説の変化と、柳田國男も含めたそれぞれの説を経年的にまとめたお話でした。

 藤原先生は最近たぶに関する論文を書かれたとのことで、それを反映した充実した内容でした。

 

 椿とたぶというと、『古代研究』の写真と追い書きを思い出します。

椿も亦、上代から見える神木で、市の祭りに臨む神の手草・杖であつた。山から神聖な男・女の里の鎮魂に携へ来る木である。其枝を杖にする山の神女が、山姥となる一方、不死の八百比丘尼の信仰が出来ても、手草はやはり、椿であつた。(中略)海には「たぶ」、山には「つばき」、この信仰の対照を見せたかつた

――『古代研究 追ひ書き』折口信夫

 

 これが時と共に変化していきます。

たぶ…海の彼方から流れ着いたもの→たぶが生えている土地に先祖がやって来た

椿…山姥がもたらす→八乙女が老化して八百比丘尼?→八百比丘尼が持ち歩く、とだけなり、山に特定しない

 こういう説の変化も確認しておく価値があるとのこと。

 

 池田家の資料、気になり過ぎますね!

 今後も高岡市万葉歴史館さんでは、折口先生に関する展示を行う予定があるそうです。楽しみ😊

 

折口信夫71年祭前夜祭

 昨年のシンポジウムで、周年祭はお弟子さんたちが考えた独自のものと伺って、興味があったのですが、ホームページにも「どなたでも…」とあり、本当に??と思っていました。

 公開講座の受付で、バスを準備してくださると伺い、え…ほんまにええんですか?と行ってみることにしました。

 (しかも、市内の主要ホテルへの送迎というコースでありがたかったです)

 

 18:00から開始。藤井家のお座敷に祭壇が設けられ、藤井家の方、父子会の会長さん、神職さん、そして翌日講演される國學院大學の小川先生が両脇に座り、正面に町内の方や我々が座りました。

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 独自のものということで…いや、そもそも何が標準なのかわかってないのですがw、たぶの木?でお祓いを受けたり、笛が奏でられたり。

 特に印象的だったのが、はじめ、祖霊舎の前をたぶの枝で覆っていて、魂が寄ってきたところで神職さんが外されました。そういえば、春日大社おん祭りでも、似たようなこと(松の枝だったかと)を見たな、と。

 献詠では、折口先生「気多のむら 若葉くろずむ…」、はるみさん「春畠…」を全員で唱和しました。

 その後直会でしたが、失礼してバスでホテルへ。

 祭自体は1時間ほど、先生の前で手を合わせることができて、良かったです。

 

 

(2)に続きます。

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