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※学校には、図書館併設など外部の立ち入りが想定されているところを除いて、事前に立ち入りの許可を得ました。お忙しいところ、ご対応いただき、ありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。
3日目スケジュール
電車の関係で、途中に安曇野市を挟むことにしました。
1日目で懲りた自転車でしたが、松本市内では山の上で借りて降りるルートで勝利! 色んなところで自転車を借りて返せたのでありがたかったです。

女鳥羽中学校
校舎前の東側の植え込みにありました。


さわがにをもて
遊ぶ子に
ぜにくれて
あかきたなそこを
われは見にけり
碑の裏です。

昭和四十九年度卒業生からです。
傍にあった説明の看板によりますと、初代の校長先生が頂いた色紙をもとに作られたとのことでした。
東筑塩尻教育会館
建物の東側の植え込みにありました。
こちらも物ぐさ太郎で、銅像と碑です。


まれまれは
ここにつどひて
いにしへのあたらし人のごとく
はらばへ
釈 迢空
説明です。

物ぐさ太郎(ブロンズ)
建立 昭和四九年十二月十五日(教育会九十周年)
制作者 上條俊介氏(朝日村 彫刻家)
塩筑教育会の気風は「茫々漠々としておおら
かである。栄達を好まずただ真なるものを
もとめてやまない。乗り降りの早い人を
好まない。権威に屈しない。地域を大切にす
るが、また他の人(他郡の人)をも大事に
育てる・・・・・」と言われている。
物ぐさ太郎は、この教育会の姿や願いの
象徴として位置づいている。
昭和三十七年にコンクリート製で 建立さ
れていたが、風化がひどく九十周年に合わせ
同一作者のブロンズ像になり現在に至る。
「まれまれは ここにつどひて
いにしへの
あたらし人のごとく
はらばへ
釋 迢空」
2日目の新村の物ぐさ太郎像と比べると、こちらの方が幼いですね。
今井さんの『折口信夫と信濃』によりますと、昭和34年に建物が火事になり、保管されていた折口先生の額(物ぐさ太郎のもののようなんですが、詳細不明)などが焼失したとのことです。
田川小学校
現在工事中の校舎の正面中央、小さな池の前にありました。
ちょうど行った時は夏休み中の平日だったんですが、吹奏楽の演奏が聞こえていて、学校に来たんだな、と改めて思いました。


しづかなる ひるなりければ おりたちて
田川の水のうづまくを見つ 迢空
碑の裏です。

しづかなる ひるなりければ おりたちて
田川の水のうづまくを見つ 迢空
この碑の歌は昭和二十六年秋 折口信夫先生が講習会のため
来校された時の作並びに書である 当時先生は六十五歳で
これが信州の最後の講義となった 校舎改築と開校五十周年
を記念してこの書の複写を頒布しその浄財で碑を建立した
昭和四十九年五月二十八日
全集の講演目録には、昭和26年9月『源氏物語講義 第五回玉鬘』、11月『源氏物語講義 第六回真木柱』とあります。亡くなる2年前です。
書簡や『折口信夫遺墨集』(折口信夫遺墨集刊行会,1974)の「年譜」を見ると、それ以降も信濃地方の方々とやり取りをされているので、まだまだ続けたい気持ちがあったんじゃないかな、と思います。
穂高神社
一旦松本市を離れ、電車で30分ほどのJR穂高駅へ。電車内も駅も登山支度の方ばかりの中、駅から約300mぐらいのところにあります。
碑は境内正面の参道に交わる、北側に向かう参道にありました。



ものくさ太郎 このよひはやくねぶる
らし あづみの大野 こほりそめつゝ 迢空
こちらも物ぐさ太郎。
隣に立つ碑です。

昔この地にはものぐさ太郎と
いう男が草葺の小屋に寝ころ
がって暮らしていた。ある日
里人からもらった餅の一つを
過って道に転がしてしまい、
通りかかった地頭に拾ってく
れとたのんだ。太郎のものぐ
さぶりに感心した地頭は、里
人たちによく養うように命じ
た。三年の月日が経った。こ
の村にも夫役が割当てられ、
太郎はそれを引き受けて都に
のぼり、秀でた才能が大宮人
に知れて時の帝に仕え、信濃
中将となって故郷に錦をかざ
り、甲斐・信濃両国を治めた。
太郎は穂高神社を造営し、
百二十歳の春秋を送り、この
神社の境内に若宮社の相殿神
として祀られ、延命長寿・財
宝沢山・立身出世の守神とし
て信仰をあつめている。
国文学・民俗学の泰斗で釈
迢空と号し著名な歌人でもあ
った折口信夫先生が、かつて
穂高神社参詣の際詠まれた歌
ものくさ太郎
このよひはやく
ねぶるらし
あづみの大野
こほりそめつつ
穂高神社式年正還営を記念し
浮彫及びに歌碑を建立する
平成元年三月吉佳日
寄進 〈略〉
今回、ものぐさ太郎にまつわる石碑が3つあったのですが、それぞれで添えられている話やイメージが違うのが面白いですね。
筑摩野中学校
再び松本市に戻りまして、南の方を。
ありがたいことに職員さんにご案内いただき、校舎の南側にありました。堂々として存在感ある碑です。


うつくしき ふたむら かけて
たつにじと とはに さかえよ
清きがくかう
迢空
碑の裏です。


美しき ふたむらかけて
立つ虹ととはに栄えよ
きよき学校
迢空
早春本校のために詠まれた自筆の短歌
昭和五十二年三月吉日建之
菅野中学校
こちらの学校は、校歌を窪田空穂さんが作っておられ、同じく校内に碑がありました。
折口先生の碑は幹線道路の裏に立っています。


しなのなる
すが野
あらぬは
いづ方ぞ よべど
こたふる
とりのねも
なし 迢
万葉集巻14・3352「信濃なる苧賀(すがの)の荒野(の)に、杜鵑鳴く聲聞けば、時すぎにけり」に呼応したもののようです。
そして隣の黒い碑はふりがながつけられていて、わかりやすい! 特に「折口信夫(しのぶ)先生作」とか😉
裏です。光が入ってしまいましたが…。

菅野中学校
開校五十周年記念
平成十年十月□?日
PTA〈略〉
作られたのが比較的新しいですね。
締めに蕎麦
これほど碑がある理由の一つは、それだけ何度も来て書き残し、それが保管されてきたためだと思います。いくつかの碑では先生が来た時の様子を残していてくださり、その姿が知られて満足でした。
長野はまだ他にも歌碑があり、揮毫したお墓などもあるようです。
今回参考にした今井さんもご自身の地元に建てておられます。
3日で14ヶ所、全部回れて良かったです。
最後に、食べていないことに気づいた蕎麦と山賊焼! 塩っぱめのくるみだれが、身体に染みました😄
