昨年11月以来、久しぶりに石川に行って来ました。
敦賀駅
新幹線が開通して初めてなので、敦賀駅で乗り換え初チャレンジです。
事前にニュースにもなっていましたが、乗り換え時間が短い! ドキドキです。構内図を見て、なるべくエスカレーターに近い車両を選びました。
結果…。
・混雑していない状態+荷物はリュックのみで、1F在来線ホームから3F新幹線のホームに4分で行けました。
・在来線改札内に大きめのコンビニがあり、お土産や駅弁が買えます。ただし営業は22時ごろまでのよう。在来線のホームに駅弁の自販機があり、カニ飯が販売されていましたが、他に売店はないようでした。
・敦賀駅の西口(改札外)は飲食店やコンビニなどもありましたが、20時には閉まっているところも多かったです。東口はロータリー。2つの入り口を繋ぐ通路はないそうでで、(間違って出たら)改札内を往復した方が良いようです。
自分も含め、乗客がほぼほぼ早足…😅もう少しゆったりと乗り換えられると良いですよねー。(帰りはダイヤが乱れていて、ひやっとしました)
室生犀星記念館「むかし、女、ありけり」
折口先生に関する展示があるとのことで行って来ました。
室生先生と言うと、交流があり、自宅も近く、『我が愛する詩人の伝記』も書かれています。
おまけに今回の企画展は、室生先生の王朝小説(日本の古典文学を題材にしたもの)がテーマとのことで、室生先生の『王朝』の序文を折口先生が書いたり、対談をしたりしています。
さもありなん!
金沢駅からバスで10分ほど、片町バス停で下車。
犀川にかかる橋を渡り、室生先生が養子になったお寺を通り過ぎて到着です。
1階は室生先生の生涯と創作の変遷を、原稿や本などで辿る展示。奥には卓袱台なんかもありました。
2階は王朝小説の紹介と、その支援者・理解者として、折口先生と小谷恒さんが紹介されていて、展示ケースに、対談の抜粋や掲載された雑誌「むらさき」などが並んでいました。
小谷さんは『我が愛する…』に書かれたように、折口先生から室生先生に紹介された方です。
折口先生の弟子の牛島軍平さんの教え子で、S4~5年頃、折口家に同居していました。髪を切られたり、無理矢理眼鏡を掛けさせられて、階段から落ちたりの他、調査旅行に同行、髪の伸ばし始めに理髪店を紹介などなどをされたようです。
今回の展示には室生先生のために、小谷さんが作ったと思われる、平安時代の官職の表や『かげろう日記』の年表がありました。室生先生から小説のアイデアになりそうな古典の資料を依頼されたり、下訳などをされたそうです。
小谷さんの著作は『迢空・犀星・辰雄』(S61,花曜社)にまとまっており、3人の身近にいた目で書かれていて、とても面白かったです。(髪を切られた一件も、『我が愛する…』とはちょっと印象が違うかも?)
展示されているその他のケースでも、『犀星日記』の昭和28年12月のページに、折口先生の名前を発見!
12/11折口先生の百日祭に、小谷さんと行ったこと、来客用のトイレに「まれ人用」とあったこと、12/14納骨式をラジオで聞く(ニュース?)と、小さくて可愛らしい字で綴られていました。
羽咋駅レンタルサイクル
続いて、羽咋に到着。
今回は自転車を借りることにしました。
サイトを見ると、地震の直後は貸出が中止されていたようです。
貸していただく時も、通行止めやまだ直し切れていない小規模な亀裂があるから気を付けるように言われました。
さて、天気も良かったので、自転車は快適でした!
いつもバスで通り過ぎていたカフェアンジェでUFOパンケーキを食べたり…。
(形が可愛いし、果物がシャリシャリ、パンケーキもバターが効いてて美味しかったです)
ルウィークエンドのレモンとラベンダーのパウンドケーキ。
(ラベンダーを初めて食べたのですが、程よい香りで美味しかった)
気多大社・大穴持像石神社・父子墓
気多大社に到着。
歌碑・句碑は変わりなくてほっとしました。
この季節、句碑への道中では、顔で蜘蛛の巣を7つぐらい壊しましたが…w
大穴持像石神社の地震石。やはり昔から地震があったということなんでしょうね。
随身門。屋根のネットは以前から掛かっていたものです。随身像も座ってます。
ここまで特に地震の生々しい被害は見かけなかったのですが、墓所には傷跡が。
父子墓は何事もなかったように見えましたが、周囲のお墓のいくつかが、台座からずれたり、落ちたり、割れてしまったりしていました。
また、そこから海沿いにしばらく行くと、『公費解体 廃棄 置き場』が出来ていて、一見平穏に見えて、まだまだ落ち着かない部分もあるんだろうな、と想像しました。
コスモアイル・歴史民俗資料館
コスモアイルは、この日も小学生ぐらいのお子さんの工作教室のようなものが開催されていて賑やかでした。確か、再開も比較的早くされたと思います。
相変わらず宇宙への夢を語ったり、解剖されていたりして楽しかったです。
続いて、昨年の国民文化祭でたっぷりお世話になった歴史民俗資料館へ。
5/1から展示を再開されたとのこと。
ロビーに文化財レスキューされた道具が置かれていました。古い農具、歩兵の銃、何かの帳簿、反故紙を使った襖などなど。
1階は地元で行われていた昔の漁や農業、暮しの展示。
2階は、階段を上がったロビーに父子かかしが移動していました。展示室では、古墳や気多大社に関するものなどの通常の展示。
まちのゆかりの人物のコーナーに折口父子が紹介されていて、墓碑銘や原稿・色紙の複製、またS19年5月の折口先生から藤井巽さん宛ての春洋さんの養子の手続きにまつわる手紙、春洋さんの國學院大學予科教授の委嘱状がありました。
ひとまず回ってきましたが、地震の傷はすぐに元に戻るものではないよなぁ、と。
次に行った時に、また一歩回復されていることを願っています。